「日本は小さくない」

先週の日経夕刊に「日本は小さくない」というタイトルのコラムが載っていたのをご覧になった方はいるだろうか。
何気ないこのタイトルだが、ピンとくるものがあって、じっくり目を通した。
内容は「日本は小さい国だと思っている人がどうも多い気がするが、実はそうでもないよ」といって、そう考えがちな理由を分析しているもので、大変共感した。

というのも、私自身、何を隠そう、日本は小国だと思っていて、「日本は小さくない」という事実に美ら地球回遊中に気づいたからだった。

私たちは旅の間、訪れる国について最低限のことは知っておこうと、”CIA The World Factbook”を見て、国について勉強するようにしていた。このFactbookは、なかなかすぐれもので、世界各国の地理データ、人口、構成民族、言語、産業、近年の動向など、基本データがわかり、しかも項目によってはランキングデータも見られる。

たしか、ドイツの面積をみたときに、ドイツが日本より小さいということを認識し、見間違いかと思って何度も見直したのを覚えている。そんなこと常識だよ、という人もいるかも知れないが、ドイツで電車なんかのっていると田園風景がひろがって、ゆったり、広大というイメージがあって、日本より小さいなんて思ってもみなかったのだ。

同じような例で、日本の四季についての認識がある。これはたしかアレックス・カーが書いていたと思うが、「日本人は、日本の四季は特別だ」と思ってはいないか?ということだ。これも読んでハッとしたものである。

たしかに私も外人の日本の気候の説明をするときには、「日本には四季があってね、春は桜で…」というのがお決まりだった。でも、熱帯やアフリカの国の人にそういうのならともかく、欧米人にそういう話をしても、彼らの国にも四季はあるのだから、とりたてて説明すべきことではないかもしれない。

もちろん、季節毎の自然を愛でることや四季に合わせた行事などという文化は日本特有のことかもしれないから(紅葉なんて「枯れる直前の葉っぱをどうして見たいの?」という話をきいたことがある)、それを語るというならいいんだろうけど。

なんか、知らず知らずのうちに「日本はアジアの東のはてにある小国で、四季が素晴らしい」みたいなステレオタイプをそのまま受け入れてしまっていたのではないだろうか。

今、インバウンドツーリズム(訪日外国人旅行)に関わっているので、外国人向けの日本の旅行/観光サイトをよくチェックするのだが、日本のイメージとして、春夏秋冬の写真を使っているところがいかに多いことか。
そういえば、小学校のときにアメリカは日本の25倍、オーストラリアは21倍、云々覚えたが、欧州の国より日本は大きいと習った覚えはない・・。

そんなわけで、日本の地理、気候について外人に説明したいとき、今私は、「日本は、南北に長くって、国土の7割は山で、北では冬にはパウダースノーが楽しめて、南端では、サンゴ礁があるんだよ」ということにしている。
みなさんはお決まりの日本説明フレーズありますか?
(慈芳)

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お前、何屋や?

わが町古川のある居酒屋で地元のオジサマ方とお酒を飲んでいたひと時に、カウンターで飲んでいた別のオジサマが僕らの席に合流する。ひとしきり話が済んだ後に僕も何とか話の和に入ることができ、そのオジサマが建具職人であることを教えられる。
お互い酔っていたが、「明日、作業場に来るか?」と言われ、「行きます」と即答。このような縁は大事にしている(というか単に好きなだけ)。


翌日、作業場にお邪魔する。所狭しと並んだ匠の道具たち。
ボク:「かんなにもこんなに種類があるんですね。」
職人:「そんなもん、今の時代は使わんよ! そーいう時代やわな」
ボク:「そうなんですねー」

色々見せてもらった後に、ある作品が登場。高山のある料亭に納められた木の便器。どうせ作るならということで、当時、ひとつ余分に作ったらしい。
なかなか趣のある作品だ。
「オモロイやろ。でも、今の時代はこんな仕事ないよ。」「今は建具がいらん家ばかりになってしまってな・・・」

ひとしきり話をした後に
職人に「んで、お前は何屋やな?」と聞かれた。
答えるが職人には理解できない様子。コンサルティング会社勤務時代も祖母にも両親にも自分がどのような仕事をしているかを理解してもらことは難しく、まだ理解してもらえてないと思う。

この問い、簡単な問いではあるが、非常に人間の本質に迫る問いだと思う。自分は何屋か。誰にでも分かりやすくひとことで言えることばを捜す必要がある。ある企業の経理部に務めながらミュージシャンやってた知人は「経理マンとギター」という曲を書いていた。その彼も今は、経理スキルを活かして別の企業のマーケ部門のプライシング屋となった。企業人だとしても「自分は何屋か?」、この答えが見つけられない人は転職市場で自分を売り込むことは難しいのではと思う。夜に現在自分探し中の同居人にも投げかけてみると、明確な答えはでなかった。

「お前、何屋やな?」。この問いに自信を持って答えられる人はどれだけいるだろうか?(拓)

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ETCの不思議

巷では休日割引のおかげでETCに関する話題が多いので、ETCというシステムについて、前から思っていたことがいくつかある。

もう10年くらい前に米国ヒューストンに住んでいた時、首都高のような道路でETCのようなシステムを利用していた(管理会社(?)のサイトはこちら)。
陸運局のようなところにいって、手続きをすると
・タバコの箱くらいの大きさのセンサーを$50で借りる
・クレジットカード番号を用紙に記入し、料金は自動で引き落とされるようになる
・毎月、明細が送られてきてクレジットカードから引き落とされる
・道路にゲートはなくて、みんなビュンビュン通過(未装着車はナンバーを撮影され、後日ペナルティがくるそうな)
・引越し等で不要になると、センサーを取り外して返却すると、$50は返金される
極めて合理的な気がした。

それに比べて日本のETCは
・数万円で機器を購入
・取り付け専門業者で工賃を払って手続き・取り付け
・ETCカードを申請・審査後、受取る
・ETCカードを車内の機器に装着
・料金所にはゲートが開閉
・おまけに、「ゲート開閉が遅くなりました、注意!」、「バック禁止!」、「カード挿入確認」など様々な電飾の看板のオンパレード(これら看板設置コストって国全体で幾らかかってるのだろうか・・・)

なぜ、このようなシステムになったか僕には不思議だ。自動車と言うそこいらに放置するものに数万円で買う機器や決裁機能(今は高速料金だけのようだが・・・)を付けなければならないとか、あげくには料金所の係員の命が失われたり、バックして事故やらトラブルが起こったりと、本当にこの仕組みでなければならない理由はあったのかと思う。

ヨーロッパやアフリカなどでは、車上荒らしを警戒してカーステのコントローラーが取り外せるタイプがあったり、カーステも持ち歩くところもあったりする。

また、ドイツの電車の駅には改札がなかった。
嘘か誠か知らないが、知人に聞いたところ「タマに係員が検札に来るだろ。あれで切符を持ってないことが分かったら、高いペナルティを払わなければならないんだ。全ての駅に改札を作り、管理するコスト、改札にヒトが行列することにより発生する社会の損失、ラッシュ時の安全確保などを考えると、改札機を整備したり、毎日改札することよりトータルでは良いという考え方なんだ」と。
うーん、合理的。

なんか、命、安全、インフラのトータルコスト、ユーザー視点より、その他のことが重視されてできたシステムに思えるのは、僕だけだろうか。これはモノづくり大国の宿命なんだろうか。
誰か今のETCの仕組みが採用された経緯を知ってる方がいたら教えて欲しいなーといつも思っている。(拓)

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ETC休日割引を利用して

GWを利用して、神奈川の実家に帰省。僕ひとりと言うこともあり、4/28(平日)の夜に飛騨を出て、4/30(休日)の0時を過ぎた直後ぐらいに高速を出る計画でスタート。

東海北陸道は快調に進んだが、やはり東名に出ると交通量が増え、速度が低下するが、だいたい予定通りに進行。
東京に近づくに連れ、サービスエリアの案内板を見ると「混」、「混」、「混」。料金所直前の港北ICに到着したのが23:40。周囲を見渡すと僕と同じように割引料金適用のため、日付が変わるのを待つ車がギッシリ。

時間帯割引が開始されてから、料金所手前で時間調整するトラックが多く並ぶこともニュースでみたことがあるが、こういう人たちに提供するサービスがでてきても良いのになと色々考えた(単にヒマだったからであるが・・・)。

SAを含めた高速道路上に消費者を囲い込んでるにも関わらず、まったくといってよいほど、その消費者に提供するサービスがない(コンビニやファミレスが入ったことは昔に比べればいいのかも・・・)。

アフリカで乗った遠距離バスが停留所に泊まると、外から焼き鳥やとうもろこしなど、様々な「おやつ」がニューっと視界に入ってくる。(こんな感じ
停留所近くの住民が、バスの乗客に間食を販売してくれるのだ。
米国在住時代もショッピングモールの駐車場で洗車サービスを提供してくる低所得者層も多く見かけた。
彼らの目を見て、生きる力、生きることへのエネルギーを強く感じ取ったことを覚えている。平和の国日本、豊かな国日本ではあまりこのような光景はみられないが、それは幸せなことなのか、それとも憂うべきことなのか・・・。

話を高速道路の時間つぶしサービスに戻す。夜中だったので、ちょっとアンダーグラウンド系のサービスを思いついた。
トラックの荷台やキャンピングカーでサービスエリアの駐車場にてお客を待つ。時間調整でSAに入ってきたカップルに暗いところから手招きする。「割引時間になるまでの1.5時間、5000円でどうでっか?キャンピングカーなのでシャワーもついてまっせ。」
サービス名称は「秘め事.com」。どうでしょうか? 許認可?知りません。やりたいヒトは調べて下さい。。。
もしくは、SCの裏口から近隣のホテルが送迎バスを出すのもよいかもしれない。
ここまで考えると、何も情事関連ビジネス以外にも可能性は広がる。

そもそも高速道路なんて単なるインフラなんだから、その敷地内に消費者を囲い込むこと自体が不自然なんであるが・・・。これも特殊な国、日本の一面である気がする。

今どき走る新幹線でもネット接続できるらしいのに、高速道路のSAでネットカフェとかってあるところありましたっけ? 見た覚えがないなー。(拓)

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観光立国への長い道のり(通訳ガイド編)

asahi.comにて面白い記事を発見。そのタイトルは「無資格ガイド、観光庁を悩ます 試験見直しも」。
外国語で観光案内を有償で行う場合には「通訳案内士」という国家資格を有している必要がある。国家資格であるため、当然、国家試験に合格しないとこのお仕事はできないわけである。

入学試験やら日本ではよくある話ではあるが、この試験をパスするための知識と現場のガイドとして必要とされる知識には少なからず乖離があるようだ。

試験合格率18%、有資格者の4割が年収100万円未満、どちらの数字も喜ばしい数字ではない。
去年の暮れに話を聞かせてもらったあるラグジャリー旅行専門のエージェントは「オカネを払ってでもガイドして欲しいというニーズは多くあるが、そのニーズを満たせるガイドがいない・・・」と通訳案内士の層の薄さ、質の低さを指摘していた。

これは、決して通訳ガイド個人だけの問題ではなく、時代の変化に制度を対応させてこなかった構造的な問題の結果と言えるのではないだろうか。
このほかにも、前述の「実は名ばかりの観光ホテル」、「宿泊施設の7割が外国人誘致に否定的」など、様々な日本の現実が炙り出されてきた。
観光立国を目指して、観光庁が創設され、これらの構造的な課題を浮き彫りにして、関連する制度の見直しをドシドシ進めて欲しいものだ。(拓)

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実は名ばかりの「外国人用ホテル」

こないだニュースで「実は名ばかりの「外国人用ホテル」、観光庁が調査へ」という記事があった。国際観光ホテル整備法に基づいて「外国人が安心して泊まれる施設」として登録されているホテルや旅館が、実はソフト的な基準を満たしていないことが総務省の調査でバレてしまったというもの。「おぉ、やっと気づいたか」という感じ。
国際観光ホテル整備法は、「本当にそれで外国人は喜ぶの??」と疑問の多い法律である。

まずは素朴な疑問を2つほど挙げてみよう。

1 登録できるのは、ホテル・旅館のみ
しかも部屋数も法律で決まっているので、大規模な施設しか登録できない。小規模ながら人気のある民宿、ユースホステル等や、部屋数限定のラグジュアリー旅館は登録できないのである。
でも実際外国人割合が多いのって、こういうとこだよねぇ・・

2 TOEIC 220スコア以上??
これは実は今回ちょっと調べるまで知らなかったのだが、外客接遇主任者の要件として各種検定の参考値があげられている。(詳しくはこちらから「5. 人的側面や経営状況に関する基準について」を参照)
たとえば、「TOEIC 220スコア以上」 え、そんだけ??? TOEIC 220点というと、「コミュニケーションが出来るまでに至っていない」と「通常会話で最低限のコミュニケーションができる」の境界。ファシリティに関しては細かい基準があるのに外客接遇主任者はそんなレベルでOKなの??

そもそもこの法律が制定されたのは、戦後まもなく。たしかにその頃であれば、ファシリティ基準(客室やロビーの広さ、部屋数等)中心のこの法律は有効だったのかもしれない。
だが、その後、特に観光立国とか掲げておいて、この法律が今の外国人旅行者へのサービス基準として合致しているのかどうか、抜本的に見直されていないのはおかしい。(実際の基準についてはこちらを参照)

今後、まずは観光庁が実態調査を始めるらしいが、はっきりいって廃止してもあんまり支障のない法律なんじゃないかと思ってしまう。

総務省は、同調査で「低廉な宿の情報提供が必要」ともいっているようだ。美ら地球的には、もう一歩踏み込んで、低廉な宿がそもそも少ない、その理由のひとつとして、旅館業法の壁というものがあることに気づいてもらいたい。海外には先進国含めいくらでもあるような気軽な宿がなぜ日本でなかなかできないのかを・・・(慈芳)

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リユース水屋、本棚になる

入居した時から、蔵に置いてあった水屋。扉がなく、棚にでもして使おうかと言ってからはや一年。埃をかぶり、蔵で物置台となっていた。日本家屋は備え付けの収納スペースが全くないので、家具を入れる必要があるのだが、お金もないし、なかなか気に入るものもないので、そのままになっていた。
並べたい本も多くあり、助っ人も来てくれたので、「ヨシ、今日やろう!」と今日やることにした。

引っ張り出した水屋は、触ると手が真っ黒になるほど埃をかぶり、引き出しを取り出すと、ガタ、ガタと木の部品が落ちてきた。
落ちた部品を見ると、「岐阜県平民・・・」と書かれた木片。何かの木を再利用しているのか・・・。この木は何なんだろうかと助っ人と盛り上がる。

乾拭き、水拭き、掃除機でゴミを取り、壊れた引き出しを修理して、徐々にその姿に元気が出てきた。
最後にエゴマの油で磨きをかける。この辺りは家の柱などはくるみか荏油で磨くそうな。
見る見るうちに水屋ちゃんが輝きを持ち始めた。

搬入を終え、さっそく民家系の写真集やらを並べてみた。リユース水屋で我が家が彩られた。
この水屋にはもうひとガンバリしてほしい、あと100年ほど。(拓)


(搬入された水屋とともに、満足感に浸りながら酒を飲む助っ人)

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障子の素敵さに感激する


今、田舎暮らし準備で飛騨に2週間ほど滞在している。移住希望者が使えるようになっている貸し古民家での滞在だ。
古民家といえば、畳に囲炉裏に太い梁。そして今回改めて気づいたのが障子の素晴らしさである。夜、寝る部屋の明かりは消し、隣の部屋の小さな電気だけつけておくと、その光が障子に透けてものすごいきれいだ。「明かりがもれる」というのはこういうことをいうのか~、という感じ。とても優しく、安らぐ光である。
しかも、夜けっこう涼しくなっても、障子を全部閉めておけば部屋の中は暖かい。
カーテンにすっかり慣れきってしまっている都会生活では、忘れられつつある障子の良さ。遮光だの、遮熱だの、UVだの、機能カーテンが大流行だが、やっぱり日本には古くからの知恵があるんだよなーと感激した・・・(慈芳)

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「犬と鬼―知られざる日本の肖像」を読む

日経新聞のとある記事から、アレックス・カーという人物を知り、彼の著作のひとつ「犬と鬼」を読んでみた「数々の文化遺産、美しい国土、すぐれた教育制度、世界一の個人貯蓄。それがありながら、なぜ日本は道を踏み外すのか?」(Amazonの紹介より)という内容、特に「文化と自然の破壊」というところで何をいうのか興味を持ったからである。
何事も批判的な私だが、読んでびっくり!彼がこの本で語っていることは、私が普段、特に帰国後感じていることとほとんどそのまま共通していた。たとえば、乱れた都市景観、コンクリートで塗り固められた河川と山肌のこと、どこへいっても同じような外観で伝統のかけらもない住宅、世界を知らない/知ろうとしない、といったこと。そしてそれらを非常にストレートな言い方で表現している。あまりに極端な表現に私は思わず笑ってしまうくらい。きっと同じことを思っていない人は気分を害するだろう。(現にAmazonのコメントを見るとそういうコメントがある) でも私はなんか味方を得たような気分にまでなってしまった。 
日常生活の中では、このようなネタを熱く語る仲間は今のところあんまりいない。田舎の景観にがっかりしたり、都会の喧騒にノイローゼになりそうになったり、自宅の周りに次々に味も素っ気もない家が建っていくことにびっくりしたり、ニュース番組の内容にあきれてあんぐりしたり・・・ 
私だって、今でこそこんなことを言っているが、旅に出る前は、そこまでそんなこと思ってなかった。それはやっぱり「麻痺」していたんだと思う。
旅に出て気づいて良かった。そして気づいてしまったからには、日本人として美ら地球分野で日本を少しでも良くしたいと思っている。(この本を読むと来たる困難を想像して気が重くなるが・・・) 
私たちはそれをとある地方で実現しようと思って今準備中だ。そこでだめだったら、私たちもこの本にも書いてある海外逃亡組の仲間入りをするのかもしれないなぁ・・・
とにもかくにも「気づく」力のある皆さんにも是非読んでみていただきたい一冊である。

(慈芳)

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